第七回(2019/01) タコ焼き3兄弟 — 明石→大阪→京都 —

    関西の食は粉もの文化で、その代表格はタコ焼きだろう。伝説の創始者は、大阪にある会津屋店主の遠藤留吉とされる。留吉は1933年に旧来のラジオ焼きでのこんにゃくをやめて、醤油付けの牛肉を入れた肉焼きを販売した。1935年には下記の明石焼きを参考に、タコと鶏卵を使ってタコ焼きとした。
 店名のとおり留吉は会津出身であり、郷里の調理法で小麦粉を出汁で溶いた。生地に味があるので何もつけずに食べられた。戦後に考案されたとんかつソースがタコ焼きにも広く使われたが、大阪の老舗では今なおソースや出汁をかけずに売る。
 兵庫県の明石には、郷土料理としての玉子焼がある。くぼみの浅い専用の銅鍋で焼く5センチ位の楕円体スナックだ。普通の卵焼きと区別するため、明石焼き(写真を参照)と呼ぶことが多い。タコのほかに、鶏卵、小麦粉・浮粉・沈粉などを材料に作る。市民の多くは、タマゴヤキよりもタマヤキと言う。
 江戸末期から食べられている明石焼きは、大阪タコ焼きのルーツのひとつとされる。タマヤキ→タコヤキだろうか。大阪と異なる点は、基本の具がタコのみで、出汁に浸して食べることだ。また、鶏卵をたっぷり使うため黄色味がかり、短時間で焼き上げて表面を焦がさず、でんぷんの粉なども使うので生地がやわらかい。
 さらに京都では、独自のタコ焼きに発展した。キャベツなど野菜を入れた重量感のある一品だ。具材をほぼ入れずにトロトロ状のタコ焼きへと変化した大阪とは対照的だろう。京都での独自性は、おしなべて大阪ほど貧しくなく、内陸地なので生ダコの入手が難しく、新鮮な京野菜の本場だったからだという。