第十回(2019/04)通天閣のビリケン様

 通天閣のなかにビリケン様がいる。関西で招福の縁起物として愛されてきた。公式HPによれば、1908(明治41)年にアメリカの女性芸術家が「夢の中で見た神様」をモデルに作ったのが起源である。足の裏をかいて笑えば願いが叶うとされる福の神で、セントルイス大学のマスコットだ。異説もあるが、当時の大統領タフトの愛称「ビリー」に、小さいという意味の接尾語「-ken」をつけたという。

 日本には早くも翌年にかけてやってきた。家内和合のほか、商売繁盛の神として花街などでも流行した。初代が大阪に登場したのは明治45(1912)年のことだ。通天閣とともに新世界で開業した遊園地ルナパークの「ビリケン堂」で展示された。その後、同園の閉鎖とともに像は消失した。

 昭和54(1979)年に二代目がよみがえる。通天閣の展望台に鎮座し、御利益を求めて足の裏をなでる人が後を絶たなかった。足の裏のすり減りなどが進んだため、通天閣・新世界の100周年を記念して、平成24(2012)年に三代目が新調された。写真のように、三代目の内部には金ぴかの「ビリ金」が納められている。

 興味深いのは、18代首相・寺内正毅のエピソードである。尖ったはげ頭と吊り目で、ビリケンに風貌が似ていた。大正デモクラシーの護憲運動のなか、寺内内閣は政治家が入閣せず官僚だけの超然内閣であった。これをマスコミは「非立憲(ヒリッケン)内閣」と揶揄した。「ビリケン宰相」と言われた寺内は、この像を愛し3体も持っていたという。ちなみに長州閥の彼は、シベリア出兵による米騒動がもとで総辞職した。