第二十一回(2020/3)デモサイド(新型・姨捨山)の悪夢

 ある夜、関西で夢にうなされた。謀殺されかける物騒な夢だった。なぜか死ぬ間際で目が覚めた。思えば2010 年代の10年間、悪夢としか思われない天変地異が多発した。あの東日本大震災はまだ記憶に新しいだろう。ほかにも各地で大規模な台風や豪雨など、度外れた自然災害が相次ぐ。異常気象はすでに、ただの気候変動ではなく人類の危機になっている。

 そして今、メイドインチャイナの新型コロナウイルスが、不気味に世界を席巻する。まるで中世暗黒時代の黒死病(ペスト)のようだ。この危機に対しても、政府部門は後手を踏む。最長宰相が初動の対策会議をわずか8分で切り上げて、直ちに3時間のホテル会食に向かったのはなぜか。政治学者のピアソンは、責任回避を「新しい政治」と呼んだ。食傷した幼稚な無責任政治のウラで、どのような「新しい」悪だくみがありうるのだろう。

 現在の課題のひとつは少子高齢化である。これは深刻で、従来の社会保障を「全世代型」に変えざるを得ないともいう。つまり高齢者重視の福祉から、現役世代にも受益をまわすわけだ。そして新型肺炎のきわだった特徴は、既往症を抱える高齢者の致死率が高いことである。持病のある年寄りが数多く死んで、体力のある若年層のダメージは少ない。したがって、もしも現状を放置/維持しておけば、老人が逝き若者は残る。

 そうすれば少子高齢化のうち、後半の高齢化問題は解決に向かう。口先では肺炎対策を装いながら、実際には全く別の課題を解消できる。目的の正しさが汚い手段をも正当化する。現代のマキアヴエリズムか。クルーズ船への間の抜けた対応をはじめとして、常識の無さを各国が失笑するほどに、日本政府の所行はFランクで的外れだ。しかし実はこれが、秘かに折り込み済みの着実な拡散策なのかもしれない。やがて、新型ウイルスによる新型の姨捨山(うばすてやま)が立ち現れるのか。高齢の国民は納税のうえ、「自己責任で」命を縮められるわけだ。

 写真の『政府による死(Death by Government)』(1994年)という本がある。ハワイ大学R・J・ランメル名誉教授の著作だ。統計によれば20世紀に、政府によって2億6200万人が殺された。多くは自国民だ。国内の非戦闘員を政府が大量殺戮することを、彼は「デモサイド(democide)」と呼ぶ。「デモサイドは戦闘で死んだ軍人の6倍にのぼる」という。続く『権力が殺す(Power Kills)』(1997年)では、「政府が強い権力をもつほど、国民は危険と暴力にさらされる。・・・我々は権力の殺人を自覚すべきだ」という。まさに悪夢の人災だろう。正夢にならないことをひたすら祈りたい。